硫黄島の戦跡
(東京都小笠原村硫黄島)
摺鉢山地区隊地域B
「南観音」
戦没した将兵の慰霊のために戦後建立された観世音菩薩。
島内何カ所かにある内の一つ。
独立歩兵第三百十二大隊壕(長田壕)石柱
南観音の右脇に建てられている。
この奥の鬱蒼とした林の中に壕の入口がある。
独立歩兵第三百十二大隊長は摺鉢山地区隊の主力部隊で、大隊長は長田(おさだ)謙次郎大尉、総勢751名であった。
長田壕(おさだごう)入口
写真中央の穴が長田壕入口である。
壕の内部
地下深くへ続く地下壕。角度はかなりきつく、階段はすり減って滑りやすい。
内部は真っ暗で、懐中電灯がなければ進めない。
遺棄された携行缶
壕内の所々に遺物が点在する。
飛行機を利用したトーチカ
既述のとおり、硫黄島では、少数の海軍が大量の物資を保有していたのに対して、防御の主力である陸軍では早くから物資が欠乏していた。
特に、陸軍にはほとんどセメントが無かたため、あり合わせの資材で陣地を構築した。
写真のトーチカは、海軍の飛べなくなった飛行機(多分、零式艦上戦闘機)をもらい受けてその周りに石とセメントを使って強化したものである。
写真にはトーチカが2つ写っているが、右側が飛行機を使ったものである。
飛行機を利用したトーチカの南側(裏側)
飛行機を利用したトーチカの南側から見た内部
飛行機の胴体を使っていることがよくわかる。
飛行機を利用したトーチカの北側(正面側)
今はこの様にむき出しになっているが、当時はこの周りに土が盛られ、見つかりにくいように念入りに偽装されていた。
写真左上に見えるのは摺鉢山
隣のトーチカ入口
セメントが僅かしか使われておらず、ほとんどが石であることがよくわかる。
そばにあるコンクリートの残骸
摺鉢山を望む
(平成14年1月17日初掲)