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海軍硫黄島警備隊南地区砲台
粟津壕の近くにある、通称「海軍南砲台」の跡への入口にある道標。その近傍には独立歩兵第309大隊第1中隊の地下壕もあった。
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砲台跡の台上から見た摺鉢山
砲台跡は現在断崖のような所にあるのだが、戦争中は写真前方に向かってなだらかな斜面になっており、巧妙に偽装されていたという。ところが、戦後、米軍が飛行場拡張のための土砂をとるためにこの斜面を崩してしまったため、断崖上に砲台を造ったかのように見えるのである。このことを知らない人は、「なぜ海軍はわざわざこんな目立つところに砲台を造ったのか?」などと言っているようであるが、全くの見当違いである。
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砲台跡後方にある地下壕の入口
少し下がったところにある地下壕の入口
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地下壕内部
遺棄されているのは火炎放射器の燃料タンク
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地下戦車壕の跡
写真ではわかりにくいが、写真の場所は一番大きな部屋で、かつては戦車が入れられていたという。前方が南でコンクリート製の掩蓋があったはずであるが、すでに崩れていて今は外とはつながっていない。
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五番砲台跡(後方)
砲は残っていない。今はコンクリートの掩蓋掩体(えんがいえんたい)がむき出しになっているが、米軍来攻時には土に埋められ巧みに偽装されていたという。それがこのようになっているのは、米軍の砲爆撃で周囲の土が吹き飛ばされてしまったためである。
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五番砲台跡(側面)
命中弾を受けたためかなり破壊されている。
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五番砲台跡に残る砲座
砲身は撤去されているが砲座が残っている。
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コンクリート壁に書かれた硫黄島警備隊長要望事項
和智大佐(戦後、硫黄島協会会長)が硫黄島警備隊長の時に自ら書いたという要望事項。文字が消えかかったために硫黄島協会の方が戦後白い塗料でなぞってある。
「訓練第(一)」、「初弾必中」、「水際撃滅」、「冷静沈着」、「連繋保持」、「確実迅速」、「(任)務遂行」、「(3文字不明)練」とある。
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四番砲台跡
掩蓋掩体自体が傾いてしまっている。
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